毎日新聞に、松田陽子作詞・作曲 「桜が散るまえに・・・」の、エピソードが記載されました!
8月12日にも同紙に載ったところで、2度目。
やはり、亡くなっても想いはずっと心にあるんだな・・・・。
是非、見て下さいね。
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20080825ddlk13040111000c.html
【毎日.JPより】_________________________________
がん:「僕から妻へのラブソング」 闘病支えた夫の思いCDに /東京
◇がんで死去の元都議・新井美沙子さん
◇がん克服のシンガー・ソングライター松田陽子さん作曲「桜が散るまえに…」を収録
がんで05年に55歳で亡くなった元都議の新井美沙子さんと、闘病生活を支えた夫芳昭さん(60)=多摩市鶴牧=を歌った曲「桜が散るまえに…」を収録したCD「生命~いのち~」が今月発売された。作曲したのは、自らもがんと闘った大阪府豊中市出身のシンガー・ソングライター、松田陽子さん(37)。美沙子さんが亡くなって間もなく3年。今も変わらない妻への思いを優しく歌っている。
美沙子さんは87年から多摩市議を2期務め、都議1期目の03年5月に大腸がんを発病。腰骨、肺、脳へと転移し05年11月30日に息を引き取った。
「遺骨は庭にまいてほしい」。そう言い残した美沙子さんだったが、芳昭さんは悩んでいた。「愛した女性の骨を庭にまくなんてできない」
果たせない約束が気にかかっていた06年3月、フリーの放送作家の芳昭さんは、知り合いに紹介され、新宿の居酒屋で松田さんと初めて会った。松田さんは03年、32歳でがんを告知された。その後離婚し、がんと闘いながら幼い長女を育てていた。初対面なのに不思議と話が合った。妻の遺骨の話をすると、松田さんは少し考え込み「庭に桜があるならその下に埋めたら」と提案した。
自宅の庭には、美沙子さんが植えた桜があった。隣に植えたシラカバが芳昭さんの木、桜が美沙子さんの木と言って笑ったことを思い出した。後日、絹のハンカチに遺骨を包み桜の根元に埋めた。それから1年半後、同じ新宿の居酒屋で酒を飲んでいると、松田さんから電話がかかってきた。「2人の歌を作ったから、明日のライブで歌ってもいいですか」。話を聞いて以来、2人のことが頭から離れなかったという。芳昭さんはその場で携帯メールに歌詞を送ってもらった。
「さくらが散る前にあなたに伝えたいことがあるから(中略)君がこの世のどこにも居ないこと ずっと受け入れずに何も見えなかった」
39年前、桜が咲き乱れる東京外国語大のキャンパス(当時北区)で、初めて出会った美沙子さんはブルーのワンピース姿だった。73年に結婚。明るく話好きで、多くの人と立ち話をした。2人で歩くと、多摩市の自宅から最寄り駅まで倍の時間がかかった。美沙子さんが亡くなる1週間前に渡された手紙の冒頭には「初めて会ったときあなたはピンクのスカーフをしていましたね」。最後まで努めて明るく振る舞っていたが、便せんの文字は弱々しかった。
次々と思い出がよみがえり、芳昭さんは画面の歌詞を追いながら人目をはばからず泣いた。
「もう一度僕の人生を生きよう」。曲を聴いて決意した芳昭さんは07年、がんと闘う人や支える人たちのメッセージで1週間のラジオ特番「命のうた~君の笑顔を忘れない~」を作った。反響を呼び800通を超えるメールが届いた。
今回制作されたCDは1800枚。芳昭さんも1枚ずつ知人らに手売りして歩くという。「この歌は僕から美沙子へのラブソング。大切な人を失っても、ずっと思いはつながっている。その思いを直接届けたいんです」。価格は1800円(税込み)。問い合わせはユナイテッドジェイズ(072・724・8041)。【堀智行】
〔都内版〕
毎日新聞 2008年8月25日 地方版