皆さん、温かいコメントに感謝します。ずっと精神的な病で苦しむ母は、愛猫レオの衰弱と死に向き合ってきました。普通の人でも死別の悲しみは辛いのに、両親が亡くなり、とても仲良かった兄が亡くなりそして今。母は安定剤を飲みながら、涙を流し私に言いました。
「悲しい。どうしたらいいの?」と。私は黙って母を抱きしめ一緒に泣きました。我が子のように抱きしめ、背中をずっとさすりながら。
今は思いやり、助け合うことができる母娘になれたけど、幼年期の頃は本当に悲しい日々でした。
母は離婚後に子供3人抱え一生懸命、夜のお仕事で働いて私たちを食べさせてくれていました。保証人になり、何人も信頼する人たちに騙され、多額の借金を抱え。私たちが小さい頃、兄弟3人ベットに並べて、ガス栓をひねり一家心中をしようとしたこともありました。
そんな精神的にギリギリだった母は、私と目を合わすことも出来ず、我が子を抱きしめることが出来ず、深い悲しみを私にぶつけ、時には言葉、時には手を上げていました。
私は気丈に見えるけど、実は弱い母を支えるために、弟たちの面倒を見たりご飯作ったり中学校の弁当を作ったり。一生懸命がんばってきた幼年期でした。その影響からか、本当に数年前まで自分を肯定できず、何のために私がこの世に生まれてきたのか、わからない日々でした。
がんばっても、がんばっても自分自身を認められない。どれだけ褒められても、ぽっかり空いた心は埋められない。自分自身がとても醜く、何度も何度も、この世から消えて無くなりたいと、涙を流しながら生きてきました。
今、とてもすばらしい同志、ボランティアの仲間たち、温かい家族に囲まれて、少しずつ自分が好きになれました。
「人のために火をともせば、我がまへ明らかなるがごとし」自分の前には火は無くても、人のために火をともせば、いつの間にかたくさんの温かい火に包まれて、輝く人生になっていると。
幼い頃に母から抱きしめられることは無かった私だけど、太陽のような母になり、母や娘や施設の子ども達、同志の心を、命ある限り抱き締めていきたいと思います。