ドクタービジット・がんを知る 命守るワクチン接種
2012年5月26日付 朝日新聞東京本社朝刊の記事を抜粋したよん♪
是非再度、読んでみてね!
教育現場で「がん」について学んでもらおうと、学校に医師を派遣する「ドクタービジット」が5月1日、武庫川女子大学(兵庫県西宮市)で、同付属高校の生徒を対象に開かれました。中川恵一・東京大准教授(52)が、がんの基礎知識について授業をした後、子宮頸がんを体験したシンガー・ソングライターの松田陽子さん(40)が登場、自らの闘病生活や啓発活動について語りました。1年から3年までの高校生約1300人が熱心に耳を傾けました。
子宮頸がんの体験を語ったシンガー・ソングライター
松田陽子さん@武庫川女子大付高
松田陽子さんは、生徒の前でアカペラも披露した=兵庫県西宮市
ゲストの松田陽子さんは、30歳のときに子宮頸がんと診断され、手術で子宮を摘出した。小学校6年の娘を持つ母でもある。生徒たちに「ちょっとでも私の話が役に立って、子宮頸がんの検診に行こうと思ってくれたら、ほんまうれしい」と語りかけた。
松田さんは「欧米では産婦人科にたくさんの方々が通って検診を受けている。日本では、産婦人科は(赤ちゃんを)産むところ」と思われがちで気軽に行けない現状があるとした。
「内科に行くみたいに、子宮は大丈夫かな、卵巣はしっかりしているのかな、と検診にお母さんと気軽に行ける環境ができるといい」
松田さんの父親は、母親に暴力をふるった。その影響からか、「うちの母は、目を見てお話ししたり、抱きしめてくれたりというのができなかったんです」。
◆娘のため生きると誓った◆ だから、自分が結婚したとき、「歌手なんかもうええ。温かい家庭を持ちたい」と専業主婦に。生まれた娘が1歳半となった2001年、子宮頸がんの告知を受けた。
「子宮は全摘しないとあかん、リンパもとらなあかん、転移しているかもしれん……。娘がおむつをしておっちら歩く姿を見て泣けてきて。この子のために私の命をここで止めないでほしい。絶対生きてみせる」。そう誓ったという。
手術後、再発しないかという心配が募り、「食べられない、寝られない。手術は成功したのに、どんどん心が壊れていきました」。夫ともすれ違い、2年後に離婚。仕事を探すため、娘を母親に預けて東京に出た。だが、悪化した心の病で寝たきりに近い状態。うつ病と診断された。
難民支援の映画を見たことがきっかけだった。松田さんは曲づくりを始め、シンガー・ソングライターとして少しずつ動き出した。今ではボランティア団体「self」を立ち上げ、国連UNHCR協会の協力委員になった。
「私は自分の夢をぽんと忘れて、子宮頸がんという病気、家庭環境、うつ病、いろんなことに負けて、子どもと一緒に死のうと、そこまで思った」
病気のことを、具体的に話せるようになったのは、手術から5年を過ぎてからだ。子宮頸がんのワクチンが日本でも接種できるようになったことも、松田さんの背中を押した。
そのワクチンを受けた人がいるかという質問が会場に出された。多くの生徒たちが手を挙げた。
「涙が出てきました。もうちょっと早く、ワクチンが日本に入っていたら。もうちょっと早く『検診に行こう』と呼びかけていたら。年間1万5千人以上の人たちが子宮がんになり、毎年たくさんの人が亡くなっていく日本が、もうちょっと変えられたんじゃないかと」
実際の記事 ↓ ↓ チェックしてね♪
http://www.asahi.com/health/feature/DrVisit_120526.html