私の本にも登場する関西外国語大学時代の親友達とホ−ムパーティーでした。
学生時代の私をみんなから客観的に言わせると、「消えかけの電球」らしい。(笑)
パーと周りを明るくしたり、真っ暗闇になったりかなりややこしかったらしい。
あの頃の私は、ナイフのようにとがっていて、異性も同性も私と関わるたくさんの人達ちを傷つけてしまっていたと思う。
幼年期はDVとネグレクト環境で育ち、母子家庭で、幼稚園、小学校、中学校、とずっといじめで登校拒否してた私は、かなり歪んだ眼鏡をかけて、すべてを捕らえていたようで、素直で優しい友人達に向かって、「あんたらなんかに私の気持ちはわからへん!」と、やたら攻撃してた。
中には、「なんで陽子にこんなに一生懸命伝えても、うちらの想いは伝わらんの?」と、泣いてしまう友がいたりで、今になって、よくあんな私とずっと親友でいてくれたもんだと思う。
みんなも言ってるけど、私が大きく変わったのは癌になってかららしい。
ずっと周りにいてくれた当たり前の家族、友人、すべてが死に直面したことで、とても愛おしく涙がこぼれてた。
私は取材をよくしてもらう中、いつも言っている。
「癌は死ではなく、生だと。」
死は誰にでも平等に与えられ、いつか迎える。
大切なのは、長く生きるだけではなく、死ぎりぎりまでどう生き抜いたか。
いつ死んでも後悔ない人生を歩んでいるか。
私は、まだまだスタート地点で果てしない夢と目標を持つと同時に、いつも死を意識して生きている。
癌になったお陰で、うつ病になったお陰で、寝たきりで無職なシングルマザーになったお陰で、毎日毎日 大切にピカピカな思いで生きている。
そしてずっと、はずせなかった歪んだ眼鏡をいつの間にかはずし、生まれたての赤ちゃんのように、いつの間にかすべてのものをありのまま見ている私になっていた。
とても傷つきやすく、弱いくせに意気がっていた私が、強くなっていてみんなは安心したらしい。
最後にみんなから言われた。
「まあ、陽子がどれだけ有名になってちやほやされても、あんたはずっとうちらにはゴマメちゃんやし。」
「なんでやねん!」
と、意気がり反論している私を見て、みんなはまた笑っていた…。