NPO法人selfスタッフ 杉田哲也さん司会そして、主催 すぎてつの会「扉を開けろ 小西忠禮の突破力」の講演会が、大阪市中央公会堂にて開催されました。小西先生は、1969年、日本人として初めてホテル・リッツ・パリの有給従業員となる。以降、超一流のホテルレストランで料理長を務める。世界の舞台で大活躍した人生ですが、波瀾万丈の一言では表すことができない人生を語られました。
幼少期の頃に両親を亡くし、兄の家族に育てられた。少しでも経済的負担をなくすため、幼いながらも新聞配達を務めながら学校へ通う。本当だったら、親を恨んだり自分の人生を悲観的に感じるところだけど、その頃から感謝する力「感謝力」のお陰で、目の前の人、今の環境に感謝をして、辛くて苦しいことも自ら進んで生きてきたと言う。
料理人の道に進んだのは、サラリーマン時代を経て23歳から。当時の料理人や職人は、10代から修行をするのでとても遅いスタート。周りのみんなに、遅くすぎる!無理だ!と、反対された。小西先生は、言う。
「だいたい日本人は、人に干渉する人が多い。フランス人は全く、他人のやりたいことに干渉しない。だから、自分の人生は自分で決めて思いっきりやってみたほうがいい。自分の人生、自分の体、自分の心、自分の明日、すべて君だけのものだから。」
専門学校の後、神戸オリエンタルホテルで就職する。毎朝8時出勤なのに朝2時に出勤し、全て自分の仕事をやり遂げる。朝8時に先輩達が来る、「お前は、まだ新米だから自分の仕事だけをしろ!お前は、一体何時から来てるんだ?」と、怒られる。しかし小西先生は、先輩に自分の仕事以上の料理人としての技術を教えてもらいたい一心で。毎朝2時に出勤し続けた。
料理人になりたての頃から、世界一のホテル・リッツ・パリへの憧れを抱き、人の倍働き、最短で一人前のシェフになり、給料はすべて定期預金に入れ、パリへ船での片道切符と500ドルを握り締めてフランスへ旅立つ。もちろん、就職先も住むところも何も決まっていない。
これ以上語ると、本を購入したいと思われる方に失礼なので、もっともっと続く奇跡の物語を読みたい方はこちらへ。
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杉田哲也さんの紹介で、講演会前に一気に読み上げました。
最後に小西先生は、私たちにゆっくり語った。
「人は、弱い。」すぐに、くじけそうになる。
だから、心のエンジンに火をつけ続ける。燃え続ける。すると、思いもよらない力が出る、奇跡が動き出す。もちろん、自分の力で奇跡が動き出す。私なんて75歳になりましたが今だに燃え続けてます。笑
人が悩むのは、自分のことだけを考えるから。
人は、なぜ生きるのでしょう?
人は、人を幸せにするために生きています。そして、夢を叶えるために生きているのです。