人権講演会、たくさんの方々に来ていただき無事終了いたしました。
濱田高槻市長にもわざわざ来ていただき、講演終盤お一人お一人に歌いながら握手をしていたところ、なんと私の追手門高校の恩師、倉田先生がお友達をたくさん連れて見に来てくれていて、ビックリ!
帰りに倉田先生のご自宅にお邪魔し、先生お手製の無農薬の玉ねぎやじゃがいもを、たくさんお土産にいただきました。
今日の講演でもお話しした17才という若さで自ら命を絶ってしまった私の高校の親友と私は、倉田先生が大好きでした。
私達は決していい学生ではなく、スカートを短くしてみたり、真っ赤な口紅を塗ってみたり。
先生方はもちろん私たちを時にはどなりつけたり、冷ややかな目で見たりしている中、倉田先生は私たちを、いつもお母さんのように守ってくれました。
先生曰く、「アメリカから帰ってきたあんたは、昔から変わってた。笑」
「私を遥かに超えて大きくなったね。たくさん経験したね。」と、包み込むように笑顔で話してくれました。
講演の最後、いつも皆さんに1分でも1秒でも笑顔の人生を!と、いう願いを込めて。
私が作った「笑っていて」と、いう曲を歌います。
今日は倉田先生のせいで、号泣しながらこの曲を歌ってしまいました。
脳腫瘍の術後、病院を抜け出してちょうど親友のお墓参りに行ったところだったので、仕事を忘れて涙が止まりませんでした。
墓石の背後に書かれた「享年17歳」という文字は、あまりにも切なく悲しいものだった。
年の変わらない娘を持つ母として、 1人でもたくさんの人に出会って、「人は幸せになるために生まれてきた。どんなことがあっても必ず乗り越えて生き続けて欲しい。」ということを語り、命ある限り歌い続けたいと思います。